青い風は、まだ吹いているか——弁護士と弁護士会の150年
第3部 ダモクレスの剣の下で
第3話 裕福という前提の崩壊——弁護士会モデルの限界
一弁の会報の記事タイトルほど、時代の変わり目を雄弁に語るものはない。
平成20年6月号——「激増する弁護士志望者 1人でも多くの司法修習生を採用してください」
平成21年6月号——「司法修習生の就職難時代」
わずか1年で、悲鳴の主が入れ替わった。発端は平成19年、法科大学院修了者と旧試験組が同時に修習を終えた「2007年問題」である。この年、一弁への新規入会は前年の1.7倍の320人。年度末の会員純増率9.8%は東京三会で最高だった。会は急膨張し、新人の受け皿は足りず、就職難、事務所に籍だけ置く「軒弁」、いきなり独立する「即独」が言葉として定着していく。
失われたのは職だけではない。会史は本質を突いている。かつての弁護士は「実務を通じて所属事務所のボス弁や兄弁姉弁から、あるいは弁護士会の会務や交遊を通じて先輩・ベテランから、暗黙知・実践知を伝授される機会」を持っていた。その伝承の回路が、総体として細ったのである。
公平のために記せば、入口の統計はその後持ち直した。一斉登録1か月後の未登録率は66期・67期の16.1%を頂点に改善へ向かい、71期には8.2%——登録1年後の未登録率は、統計のある最初の世代(平成21年登録・1.3%)の水準にほぼ戻った、と日弁連の記念誌は総括している。合格者減と若手支援策の効果である。だが回復したのは入口の数字にすぎない。所得の構造、暗黙知の伝承、そして会員と「会」との距離は、元には戻らなかった。
経済の土台も変わった。日弁連理事会の議事概要には、こんな発言が残る。
「弁護士人口が2倍になった、やはり所得は半分くらいになるという嘆きを何人もの会員から聞いてきた」
(理事発言・2021年度第4回)
国税庁の資料に基づいて、年間所得の低い弁護士の層が無視できない規模で存在することも、理事会の場で言及されるようになった。
弁護士会は、路線を修正する。平成20年、一弁の法曹人口等研究委員会は、3000人閣議決定の見直しを求める報告書をまとめ、全会員アンケートでは回答者の約4分の3が3000人目標に否定的だった。同年7月、日弁連は一弁の奈良道博・元会長を座長とする検討組織の議論を経て「法曹人口問題に関する緊急提言」を出し、増員ペースダウンに公式に舵を切る。会史はこの提言をこう評した。
「司法修習終了者の9割を受け入れる弁護士界がこらえきれずにあげた悲鳴である」
やがて政府の検討会議は3,000人目標を現実性を欠くものと認めて見直し、その後は「1,500人程度は輩出されるよう、必要な取組を進める」ことが政府方針となった(合格者は実際、1,500人前後で推移していく)。なお、会内にはさらに急進的な減員論もあった。平成28年3月の日弁連臨時総会には、会員の請求により「合格者1,000人以下」等を求める決議案が上程され、否決されている。執行部は外へは減員を求め、内では急進論を抑えるという両面作戦を強いられていた——強制加入団体の執行部とは、そういう仕事である。
改革審意見書が描いてみせた法的ニーズの顕在化は、期待された規模では起きなかった。後に日弁連会長を務めた菊地裕太郎は、会内に広がる受け止めをこう分析している。
「司法改革を否定的に考える最大ともいえる理由が、改革審意見書が描いてみせた法的ニーズの顕在化、活動領域の拡がりが幻想であったとの思いである」
(百年正史p.437所引)
ここで、この連載の核心にあたる問いに触れたい。弁護士会という仕組みは、そもそも何を前提に設計されていたか、である。
答えは単純だ。「経済的に余裕のある弁護士が、会費を納め、手弁当で会務と公益活動を担う」——裕福な篤志家の互助会モデルである。強制加入の会費で財政を賄い、委員会活動は無報酬、国選も当番も法律相談も、採算を度外視できる本業があってこそ回る。この前提が、いま二つの方向から崩れている。
第一に、所得の分化。低所得層の出現と同時に、弁護士の働き方そのものが多様化した。象徴が組織内弁護士の急増である。平成19年に全国188人だった企業内弁護士は、令和4年には15.8倍の2,965人。その8割超が東京三会に集中し、東京では「会員の10人に1人が企業・団体内弁護士」になった。しかも調査では、その86%が弁護士会費を所属企業に負担してもらっている。会史は静かに指摘する。
「そのような慣行も、会への帰属意識を薄れさせ会務参加の意欲を低下させそうだ」
第二に、会務の担い手の細り。かつて司法制度改革審議会の席上、経済人委員が放った言葉がある。
「私どもが接触する弁護士先生の中には、弁護士会の活動に興味がない方もたくさんいる」
(百年正史p.478)
四半世紀前の指摘だが、事態はむしろ深刻化した。
ここに、見落とされがちな逆説がある。会員一人ひとりの経済的余裕が失われていく同じ10年間に、「日弁連」という組織の財政は、むしろ潤ったのである。会費収入は会員数に比例する。単年度収入は平成21年度の45億8千万円から平成30年度には57億4千万円へ、翌年度への繰越金は13億円から47億円へ膨らんだ。会員は貧しくなり、会は豊かになった。若手の会費半額(平成19年〜)や育児期間中の免除に続き、日弁連が平成28年に史上初の一般会費減額(月額1,600円。令和4年に再減額)へ踏み切ったのは、この非対称への応答である。だが、金の再分配だけでは、会務に人が戻るわけではない。
そして、信頼の危機が追い打ちをかける。
平成27年、成年後見人を務めていた元一弁会員が業務上横領で逮捕された。被害は約1億1200万円。令和に入ると、整理屋主導の非弁提携事務所が相次いで破綻した。抱えられていた案件は個人・法人合わせて約1万件にのぼり、預り金の流用や事件の放置が明らかになって、一弁は特設電話を設け、延べ約400人の会員が対応に当たった。時の会長の述懐が重い。
「会員が急激に増え会員間の関係が希薄になって、先輩から、どういうことを弁護士はやってはいけないのかを教えてもらうようになっていないのだろうな」
(寺前隆・百年正史p.493)
暗黙知の伝承の断絶は、技能の問題にとどまらず、倫理の伝承の断絶でもあった。日弁連の公式記念誌も、こうした事件の背景について「弁護士人口の増加……広告の自由化など弁護士を巡る環境が変化する一方で、一部には弁護士の経済的逼迫化といった現象が生じたため、不祥事・非行が増加傾向となった」との指摘があったことを紹介している。第1部で見たとおり、弁護士自治は「国民の信を失えば法改正で消える」制度である。不祥事は個人の犯罪であると同時に、自治の土台を削る構造問題なのだ。
日弁連は平成29年、横領被害を受けた依頼者に会費を財源として見舞金を支払う制度(依頼者見舞金制度)まで創設した。公式記録は認める——「この制度の創設が議論されて以来、会員の納付する会費が財源とされることから、その創設に反対する意見も有力であった」。強制会費で何を賄うことが正当化されるのか——次に述べる物差しが、現に会内で争われた実例である。
これで終わっては、ただの衰退の記録である。だが需要の側を見れば、風景は違って見える。
一弁自身の答申が認めるとおり、「この社会的ニーズの大半はまだ潜在的ニーズに留まっている」。高齢化社会の権利擁護、中小企業の法務、自治体、スタートアップ、国際取引——法的サービスが届いていない領域は、今なお広大である。真の弱者救済という一方の翼と、経済界のパートナーというもう一方の翼。その両方に本気で浸透する構想力があれば、弁護士人口の増加は過剰ではなく、なお不足ですらあり得る。
問題は需要ではない。届ける仕組みと、担い手の側にある。
ここまでの変化を一言でまとめれば、こうなる。弁護士会は、「均質な同業者の互助会」から「多様な法律家の連合体」へ変わった。独立自営で、経済的に安定し、「在野」の自己意識を共有する会員たち——弁護士会のあらゆる仕組みが前提としてきたこの弁護士像は、もう会員の共通像ではない。企業に勤める者、組織の一員として働く者、経済的に苦しい者、派閥も会務も知らずに育つ者。この多様化した集団を、なお一つの強制加入団体が束ねている。
この変化は、突然来たのではない。増員時代の入り口に立った平成21年、時の日弁連会長・宮崎誠は、公式記念誌の巻頭でこう予言していた——「弁護士の働く環境、活動分野の広がりは、会内の価値観の多様化を加速し、会運営は難しいものになるでしょうし、市民は弁護士に、より高度な質と倫理を求めるでしょう」。予言は、そのとおりになった。
この現実を前に、当然の問いが生まれる。拡大を続けてきた弁護士会の役割を、そろそろ整理すべきではないか。贅肉を落とした、筋肉質な弁護士会へ——。
方向は、正しい。ただし、何が贅肉で何が筋肉かを見誤れば、歴史の教訓に正面から反することになる。
判定の物差しは、一つしかない。その機能は、脱退の自由のない全会員に、強制会費で負担させることを正当化できるか——である。この物差しで仕分けると、三つの層が見えてくる。
第一は、削ってはならない核である。資格・登録・懲戒・綱紀・倫理研修・非弁対策という弁護士自治の存立条件と、市場も国家も代替できない人権救済・司法アクセスの最後の砦機能。第1部第5話と第2部第4話を思い出してほしい。弁護士自治が守られてきたのは、弁護士会が「国家の監督がなくても公益は保たれる」と、自律的懲戒と公益的機能の実践によって証明し続けてきたからだった。核まで削る減量は、「なぜ弁護士だけが監督を受けないのか」という問いを自ら呼び戻す。それは贅肉ではなく筋肉を削ぐ行為であり、節約ではなく自傷である。
この核が、どれほど会員の自弁で築かれてきたかも、記録は伝えている。法律扶助は昭和27年に日弁連が財団法人を作って始め、その管理運営費は長く弁護士会等の寄付で賄われた。当番弁護士は「費用は、被疑者の負担にさせない」という原則で全国52会に広がり、ひまわり基金は東京弁護士会の1億円の拠出などを財源に発足して、弁護士ゼロ地域を一度は消滅させた。国が担うべき司法インフラを、弁護士会は法律事務を独占する者の責務として自弁してきたのである。独占と自治の対価としての公益——この論理を手放した瞬間に、核は核でなくなる。
第二は、外の器へ移すべき周辺である。思想的・政策的な活動、業務拡大の支援、任意的な福利。これらは派閥・任意団体・事業体が担い、会は場の提供と支援に回る。
第三は、その中間——研修や共済のように、受益者負担と重点化で再設計すべき領域である。
この整理が絵空事でないことは、日弁連自身が認めている。委員会・本部・ワーキンググループの数は約110。公式記念誌は「日弁連の委員会等の活動は……限界に近づいてきており、引き続き(統廃合を)進めて行かざるを得ない」と書き、研修の受益者負担原則への転換は平成21年から始まっていた。
これは縮小論ではない。歴史への回帰である。明治の弁護士は、法定の会が理念を語れないと知ると、外に任意団体の日本弁護士協会を作って理念を語った(第1部第2話)。以来、理念と政策の議論は、しばしば任意の器——協会、派閥、政策集団——が先導してきた。逆に、すべての機能を単一の強制的団体へ統合したのは大日本弁護士報国会——最悪の時代の発想である(第1部第4話)。「法定の中核と、豊かな任意の周辺」という二重構造こそ、この国の弁護士の歴史で現に機能してきた形だった。裕福な篤志家の手弁当がすべてを支えた時代が終わった以上、全部載せの維持はいずれ核の劣化を招く。整理しないことのほうが、核を危うくする。
目指すべきは、痩せ細った弁護士会ではない。核の太い、筋肉質な弁護士会である。
現代への視線
「裕福な篤志家の互助会」モデルは終わった。次のモデルの設計者は、多様化した会員の現実——企業内、独立、大規模事務所、地方、子育て中——に合わせて、会費・会務・公益活動の負担と受益を組み直さねばならない。物差しは「強制会費で全員に負担させることを正当化できるか」の一点。核は太く、周辺は外の器へ。会のために会員がいるのではない。会員のため、そして市民のために会がある。設計の原点は、そこにしかない。
出典・注記
- 発言等の引用の末尾に付した( )は出典を示す(略称p.頁)。頁は刊本の印刷頁による。
- 百年正史=『われらの弁護士会史 創立百年正史』(第一東京弁護士会・2023)p.417-421, 435-437, 458-462, 476-481, 486-497(2007年問題、緊急提言、組織内弁護士、会費、不祥事、潜在ニーズ)
- 理事会議事概要=日弁連理事会議事概要(速報)2013〜2015年度・2021年度(所得・財政関連の発言。速報メモであり確定議事録ではない。発言者個人は特定していない)
- 日弁連六十年=『日弁連六十年』(日本弁護士連合会・2009)巻頭「刊行の辞」(頁付なし), p.113-114, 220, 337-345, 369(宮崎誠会長の刊行の辞、法律扶助・当番弁護士・ひまわり基金の自弁の記録、研修の受益者負担)
- 日弁連七十年=『日弁連七十年』(日本弁護士連合会・2019)p.22, 26, 37, 221, 242-244(会財政・会費減額、委員会の限界、臨時総会の減員決議案否決、就職状況の回復、不祥事の構造分析、依頼者見舞金)
- 引用中の「……」は中略を示す。
- 後段の役割整理論(核と周辺の仕分け)は、本編の歴史からの帰納として書き下ろした論説である。ただし委員会活動の限界と統廃合の必要は『日弁連七十年』にも公式の自己認識として記されている。