青い風は、まだ吹いているか——弁護士と弁護士会の150年

第3部 ダモクレスの剣の下で

第4話 官民孰れにも偏せず、再び——強制加入団体は何を語るべきか

弁護士会は、政治的な争点についてどこまで語ってよいのか。

この古くて新しい問いが、平成の終わりから令和にかけて、日弁連の理事会で繰り返し正面から争われた。以下は理事会議事概要(速報)に残る議論である。速報メモゆえ確定した議事録ではなく、発言者名も記さないが、強制加入団体の内部で何が軋んでいるかを、これほど生々しく伝える記録はない。

平成27年、安全保障法制への反対運動のさなか。理事の一人が根本的な問いを口にした。

「強制加入団体である日弁連という性質上、全ての会員がそのように思っているとまではいえないだろう」

(2015年度第1回)

全会員の名で語ってよいのか、という問いである。反対運動の新聞意見広告には日弁連の予算が充てられたが、あわせて有志のカンパも募られ、途中集計で386人から255万円余が寄せられた。執行部はカンパを「補足的なもの」と説明したが、会の資金を政治性を帯びた意見広告に使うことへの目配りが要る——その慎重さ自体が、この問題の性質を物語っている。理事会の議論では、特定の政党と結んででも徹底的に運動すべきだとする積極論と、「我々は政治的勢力に加味するのではなく、法律家の立場からの見解を示すことが社会的支持を得ることにつながるのではないか」とする慎重論が交錯した。年度後半、会長自身が公式に認めている。

「日弁連が政治的な活動をしているという意見を頂くことがある。会内にこのような意見があるのは事実である」

(2015年度第7回)

この時期を、後年の公式記念誌『日弁連七十年』はこう総括した——「日弁連と全国の弁護士会が一致団結し、国民と連携しながら、歴史に残る大規模な、そして創意工夫に満ちた取組を旺盛に展開してきた」。全52弁護士会の反対決議、38万7,220筆の署名、日比谷の集会に4,000人。数字は壮観である。だが、同じ記念誌は、評価が大きく分かれる場合には対立評価も紹介するよう執筆者に求める編集方針を掲げていた。にもかかわらず、この章には、理事会で現に出ていた冒頭のような異論が一行も書かれていない。公式の物語と、議事の記録との間に、溝が開いている。その溝こそが、本話の主題である。

翌平成28年、対立はさらに先鋭化する。死刑制度の廃止を含む宣言案である。

年度当初の理事会から、異論は率直だった。世論調査では死刑存置が8割を占める中で、いま日弁連が廃止を言うのは時期尚早ではないか。そして、ある理事が伝えた単位会の空気は、問題の核心を突いていた。

「当会でも死刑執行のたびに会長声明を出すが、常議員会では個人の信条に関わることについて会として声明を出すのはおかしいという意見が出る」

(2016年度第1回)

死刑への賛否は、法律論であると同時に、個人の死生観・信条に関わる。強制加入団体がそこに踏み込むことへの根源的な躊躇である。宣言案の採決を前にした理事会では、手続論の反対が明確に述べられた。

「会内合意が不十分であるから、宣言して議論を深めていくというのは順序がおかしい。会内合意があって宣言をして進めるのが民主主義の基本であるから賛成できない」

(2016年度第5回)

執行部側も、単純な多数決主義に立っていたわけではない。担当副会長は「議論もしないで単にアンケートをとって賛否が多いかどうかで多数決で押し切るようなものであってはならない」と応じ、議論を尽くしたうえでの意見表明であることを強調した。熟議か、会内世論の反映か——どちらも民主主義の一面である。

採決は、異例の精密採決となった。結果は賛成68、反対10、棄権6。宣言は人権擁護大会で採択され、広く報道されたが、会長は後の理事会で、犯罪被害者の思いを重く受け止める旨を表明しなければならなかった。さらにこの騒動の際、総会や大会の定足数・議決手続についてメディアから質問が相次いだことは、後に総会定足数規定を整備する議論の中でも執行部から言及されている。意見表明の作法の乱れは、ガバナンス全体への疑問に波及するのである。

なお、思想良心の自由との関係について、日弁連には依拠する裁判例がある。強制加入団体が法律案への反対決議をしても、会員個々人にその意見の遵守や支持の表明を強制する効力はないから、思想良心の自由の侵害には当たらない、とした判決(東京地裁平成4年1月30日判決、控訴審も維持)である。だが、日弁連が判例に安住しなかったことも記録しておくべきだろう。宣言の後、死刑廃止実現本部と執行部はすべての弁護士会を訪れ、会員の理解と協力を得るための対話を続けた——会内の意見分布への誠実という作法を、実践で示した例である。

令和4年、今度は安全保障政策——いわゆる反撃能力の保有に反対する意見書案。ここで、一人の理事が、この問題の核心を最も明確な形で言語化した。

「大きく議論が分かれ、世論も割れている問題について、一定の結論を出すのであれば、日弁連の中でも多数意見がはっきりしていることが前提……7〜8割の賛成があることが前提ではないか。これが、55対45等の僅差の場合は話が違うのではないか」

(2022年度第9回)

強制加入団体が「会の意見」を語るには、会内にどれだけの合意が必要か——賛否の中身ではなく、語る資格の要件を問うたのである。執行部は、弁護士法1条(基本的人権の擁護と社会正義の実現)を根拠に意見表明の正当性を説き、「個々の弁護士の思想良心に圧力をかけたり、不利益を与えることはない」と応答した。意見書は賛成多数で承認されたが、問いは残った。

安保法制から死刑宣言、そして安全保障政策へ——三つの局面に共通するのは、争われたのが常に「中身」ではなく「作法」だったことである。理事たちの異論は、護憲か改憲か、存置か廃止かではない。全会員の名を使う資格、合意の閾値、採決の方法、反対意見の扱い。強制加入団体のガバナンスそのものが、7年越しで問われ続けたのだ。

そして、意見表明のコストは会の内側の軋みにとどまらないことも、この時期に実証された。平成29年、日弁連と各地の弁護士会の意見表明——朝鮮学校への補助金停止に反対する会長声明——を非難して、全国21の弁護士会に、800人を超える者から大量の懲戒請求が申し立てられたのである。個々の弁護士の非行を問うものではなく、会の意見表明そのものへの攻撃であり、在日コリアンの会員には、その属性を理由とする請求さえ向けられた。注目すべきは、攻撃に使われた武器である。それは、弁護士自治の中枢装置である懲戒請求権そのものだった。会が「偏っている」と見なされたとき、攻撃は自治の急所に来る——弁護人抜き法案の教訓(第2部第4話)は、インターネットの時代に、この形で回帰した。

それにしても、なぜ弁護士会の姿勢は変わったのか。かつて人権のために堂々と「政治的」であった会が、いまは抑制を語り合っている。変節だろうか。

四つの構造変化が重なっている、というのが本連載の見立てである。

第一に、会員の均質性の喪失。会員が少数で、経済的に安定し、「在野」の自己意識を共有していた時代には、「会の意見」の形成コストは低かった。会員4万人超、企業内弁護士が東京では10人に1人という現在(第3話)、どんな結論も相当数の会員の思想良心と衝突する。理事会に響く「全ての会員がそのように思っているとまではいえない」という声は、個人の意見である以上に、この構造変化の表出である。

第二に、判例による法理の明確化。最高裁は、税理士会が政治献金のために会員から特別会費を徴収することを会の目的の範囲外とし(南九州税理士会事件・平成8年)、他方で司法書士会による震災復興支援の拠出は目的の範囲内とした(群馬司法書士会事件・平成14年)。強制加入団体の活動には「目的の範囲」と「会員の思想良心の自由」による限界がある——事案は献金であって意見表明ではないが、この枠組みの射程への意識が、弁護士会の発言のあり方にも影を落としている。

第三に、司法制度改革による当事者化。法テラス、被疑者国選、裁判員——弁護士会は国家の司法インフラの共同運営者となり、純粋な「対抗権力」の位置には戻れなくなった(第1話・第2話)。

第四に、弁護士自治への再帰的恐怖。「国民の信を失えば、自治は法改正で消える」——昭和54年に刻まれた教訓(第2部第4話)を持つ組織にとって、党派的と見られることは、自治の存立に関わるリスクそのものである。

そして、歴史を遡って気づくのは、これが変節であると同時に回帰でもあることだ。第1部で見たとおり、歴史上成功してきた弁護士会の「政治的活動」は、実は一貫して、事実調査に立脚し、法律論として構成され、司法と人権という専門領域に係留されていた。米騒動調査も、岩田宙造の翼賛会批判も、弁護人抜き法案への対案も、すべてこの三点セットである。外れたときに、会は内側から軋んだ。

では、基準はどう立てるか。二段階で考えたい。

まず、語ることが許される条件。目的(弁護士法1条の範囲か)、対象(司法・人権の核心にどれだけ近いか)、態様(事実と法理か、運動論か)、合意(会内の意見分布に見合った名義と強度か)、名義(会か、会長か、委員会か、有志か)——この五つの基準である。

だが、許されることと、行使すべきことは別である。会の名で「結論」まで語るのは、さらに三つの要件が揃うときに限る、という自制の準則を重ねたい。第一に、不可逆性——国家権力が生命・自由・手続的権利を不可逆的に侵害する場面か。第二に、専門知の一義性——結論が、価値の選択ではなく法律家の専門知から導かれるか。第三に、補充性——弁護士会のほかに、語る者がいないか。三つが揃わない論点では、会は結論を控え、事実の調査報告と論点の整理——判断材料の供給——に徹する。それは沈黙ではない。米騒動調査が示したとおり、事実の提示はしばしば結論の主張より雄弁であり、誰もが引用せざるを得ない調査資料を作ることは、影響力の放棄ではなく、影響力の形の選択である。

現代の実例がある。東日本大震災で、弁護士会は4万件を超える無料法律相談を実施した。そして相談票を分析し、地域ごとの被害の型を立法事実として示すことで、二重ローン対策から相続放棄の熟慮期間延長まで、次々に法改正を実現させた。「同居の弟が震災で亡くなったのに災害弔慰金がもらえないのはおかしい」——この一件の相談が、全国の弁護士の要請と日弁連の立法提言につながり、災害弔慰金支給法は改正されて、兄弟姉妹にも弔慰金が支給されるようになった。旗ではなく、事実が法律を変えた。米騒動調査の、まぎれもない現代版である。

一句に圧縮すれば——結論は、専門知が命じるときにのみ語る。選好が分かれるところでは、判断の質を上げることに徹する。

弁護士法1条がある以上、弁護士会が人権と法の支配に関わる発言をやめる必要はない。えん罪、刑事手続、司法アクセス——語らなければ職責放棄となる領域は確かにある。他方で、強制加入という制度は、発言の「ライセンス」であると同時に「抑制原理」でもある。脱退の自由がない団体が全会員の名で語る以上、その言葉には、任意団体にはない重い作法が要る。

ここで、この連載の第1部第3話を思い出してほしい。大正7年の米騒動で、日本弁護士協会が社会の信頼を勝ち得た場面である。あのとき弁護士たちは、旗を振らなかった。実行委員50名を全国に散らし、事実を調査し、法に照らして軍隊使用と言論統制を批判した。当時の法律新聞はこう評した——「独り弁護士協会が、官民孰れにも偏せず、貴賤都鄙執れの階級にも党せず、最も公平なる立場に処して」。

偏らないから、信頼される。信頼されるから、批判が刺さる。百年前の先人が実践していたのは、次の三つの作法だったと言い換えられる。第一に、事実調査と法律論に立脚すること。イデオロギーではなく、調べた事実と法理で語る。第二に、会内の意見分布に誠実であること。会内が割れている問題では、割れていること自体を隠さない。第三に、思想的な争点は、会そのものではなく有志の任意団体の活動として担い、会はそれを支援するにとどめること。

会の政治的中立とは、何も言わないことではない。「誰の側でもなく、法の支配の側に立つ」と社会に信じてもらえる語り方のことである。その信頼は、弁護士自治と同じく、一度失えば取り戻すのに世代を要する。

現代への視線

(本話は全体が現代論であるため、付記を置かない。なお本話は特定の決議・宣言の当否には立ち入らず、意見表明の手続と作法のみを論じた。理事会議事概要は「メモによる速報」であり、引用は概要の記載に依る。)

出典・注記

  • 発言等の引用の末尾に付した( )は出典を示す(略称p.頁)。頁は刊本の印刷頁による。
  • 本文中の(年度・回)は、日弁連理事会議事概要(速報)2015年度第1・4・7回/2016年度第1・5・7・9回/2022年度第9回を指す(安保法制・死刑廃止宣言・反撃能力意見書をめぐる議論。発言者個人は特定していない)
  • 東弁百年史=『東京弁護士会百年史』(東京弁護士会・1980)p.335-336(米騒動調査への世評)
  • 日弁連七十年=『日弁連七十年』(日本弁護士連合会・2019)p.4-10, 182-184, 196-200, 248, 262(災害復興支援と立法提言、死刑宣言をめぐる異論と全単位会行脚、安保法制期の自己記述、大量懲戒請求問題、編集方針。東京地裁平成4年1月30日判決への言及は同書p.184)
  • 南九州税理士会事件(最高裁平成8年3月19日判決)・群馬司法書士会事件(最高裁平成14年4月25日判決)は公刊判例による(本連載の底本たる会史文献外)。
  • 後段の基準論(五基準・三要件・二層構造)は、本編の歴史からの帰納として書き下ろした論説である。
  • 引用中の「……」は中略を示す。