青い風は、まだ吹いているか——弁護士と弁護士会の150年

第3部 ダモクレスの剣の下で

第2話 ロースクールの蹉跌——制度の失敗と若者の犠牲

平成16年4月、法科大学院68校が一斉に開校した。入学定員5,590人。翌年には74校・定員5,800人余りに膨らんだ。「プロセスとしての法曹養成」の理想を掲げた新制度は、初年度72,800人(延べ人数)という志願者を集め、華々しく船出した。

だが、この出発点にこそ破綻が埋め込まれていた。構想の中心人物だった佐藤幸治・元司法制度改革審議会会長は、平成29年の講演で率直に明かしている。出発時の想定は——

「20から30校とみていた」

(百年正史p.425)

現実はその2倍以上の学校が乱立した。司法試験合格者は最大でも年3,000人の計画である。定員が5,800人なら、「多く見積もっても卒業生の半分しか司法試験を突破できない計算」になる。審議会意見書が合格率のメドとして示した「7〜8割」は、認可の段階で既に算術として成立しない数字になっていた。

なお、一弁は制度設計の段階で警鐘を鳴らしていた。平成12年3月の「法曹養成制度改革試案」は、新しい司法試験を「これまでのような競争試験ではなく純粋な資格試験とすべき」と提言している。水準に達した者は全員合格させる資格試験であれば、合格率の暴落も予備校化も起きようがない。だが現実の制度は、定員だけ野放図に広げ、合格者数は絞るという最悪の組み合わせで走り出した。

数字は、容赦なく崩れていった。

合格率は、未修者コースの修了者が初めて受験した平成19年に40.2%へ落ち、翌年には全体で33%、未修者は22.5%となった。「入れば7〜8割受かる」はずの学校は、「入っても3人に1人しか受からない」学校になった。

志願者は、初年度の72,800人から平成30年には約8,100人へ——9割減である。「定員割れをする学校が8割にも上っている」と一弁会報が書いたのは、開校からわずか4年後の平成20年だった。募集停止は、平成22年に翌年度からの停止を発表した姫路獨協大学を皮切りに雪崩を打ち、令和3年度までに74校中40校が撤退した。国立も私立も、伝統校も新設校も、ほとんど見境なくである。

司法試験合格者数も、3,000人には遠く届かなかった。ピークは平成20年の2,209人(新旧試験の合計)。日弁連の増員ペースダウン提言(次話参照)を経て平成28年に1,500人台まで減り、以降は漸減が続いて令和4年には1,403人となった。

そして本来「経済的事情等で法科大学院に行けない人のための例外ルート」だったはずの予備試験が、逆転現象を起こす。日弁連は制度発足前から、受験資格を明記しなかったことを制度の欠陥と指摘し、予備試験コースの「極小化」を要求し続けていた。それでも逆転は起きた。令和元年の司法試験では、予備試験組の合格率81.82%に対し、法科大学院修了者は29.09%(『日弁連七十年』)。超難関の予備試験合格者は任官・就職で優遇される傾向すら生まれ、会史の表現を借りれば「予備試験は所期の目的と全く違う〝特急・特級ルート〟になってしまった」。本流と例外は、完全に入れ替わったのである。

現場の危機感は、日弁連理事会の議事概要(速報)に生々しく残っている。発言者の属性のみ記す。

「法科大学院志願者は、主に就職難から10年で1/6に減っており、修了生の20%に当たる400人が一括登録時に未登録である」

(執行部説明・2012年度第7回)

「今、法曹を目指す人が激減しており、大学法学部の人気も下がり、法科大学院志願者も4分の1以下になっている」

(理事発言・2012年度第3回)

「今年の実入学者数は2698人。……法科大学院制度はやはり破綻したと見る時機ではないか」

(理事発言・2013年度第8回)

制度の中枢を担う会議体で、「破綻」という言葉が公然と語られるようになっていた。

この制度失敗の代価を、最も重く払わされたのは誰か。制度を設計した世代ではない。その制度しか選べなかった世代である。

給費制の廃止が決まったのは、実は改革ラッシュのただ中、平成16年である。司法制度改革の関連法案群と同じ時期の国会で、「日弁連の強い反対にもかかわらず、法曹人口増に伴う財政負担増を理由に、修習生の給費制を廃止する法案が成立した」(『日弁連六十年』)。増員のコストを、増員される側の若者個人に付け替える——因果関係は、公式記録に明記されている。このとき日弁連が勝ち取れたのは、施行の4年延期と附帯決議だけだった。

実施が迫った平成22年、給費制維持を公約に掲げた宇都宮健児会長の下で、運動は最高潮を迎える。中心にいたのは「ビギナーズ・ネット」——司法修習生だけではない。大学生・法科大学院生から若手法律家までを束ねた、世代横断のネットワークである。まだ当事者ですらない学生が、未来の後輩たちの制度のために署名を集めた。請願署名は約68万筆、国会への請願パレードには2,000人が並んだ。それでも得られたのは、さらに1年の実施延期だけだった。平成23年11月、貸与制は実施される。移行を決めた政府側フォーラムの多数意見は、こう言い切っていた——「弁護士経済調査結果から弁護士の所得は期を追うごとに増えている。返済できる」。弁護士の所得が坂を下り始めていた(次話)、まさにその時期の認識である。

平成29年、三代の会長にわたる運動の末に修習給付金制度(基本給付金月額13万5000円・住居給付金3万5000円等)が創設され、給費は事実上復活する。しかし遡及適用はなかった。貸与制の下で修習を受けた新65期から70期まで——約1万1千人、平成30年時点で全法曹の約4分の1が制度の谷間に取り残され、うち約8,000人は貸与金の債務を負ったままとなった。「谷間世代」である。その貸与額の免除に要する額は約143億円と、国会でも答弁されている(最高裁経理局長)。

ここで思い出したいのは、第1部と第2部で見た歴史である。戦前、「弁護士試補は無給で当然」という時代があった。戦後の統一修習と給費制は、法曹の卵を国が育てるという思想の制度化であり、先人たちが分離修習構想と闘ってまで守った仕組みだった。その修習は平成期を通じて2年から1年半へ、1年4か月へ、ついに1年へと刻まれ、給費は司法改革の財政論理の中で削られ、若い世代がその負債を個人で背負った——歴史は、逆流することがある。

そして今、問題は弁護士会の外へ滲み出している。法曹志望者そのものの減少である。

理事会では、司法試験の受験予定者数が平成30年の5,726人から翌年には4,899人へと800人以上減ったことが報告され、法科大学院を受験資格とする制度自体への疑義が理事から呈された(2019年度)。かつて数万人が受験した試験の志望者が、5千人を割り込んでいく。

法曹志望者の減少は、もはや弁護士業界の採用難の話ではない。裁判官・検察官・弁護士——法の支配の担い手の再生産が細るという、社会全体の問題である。しかも弁護士の仕事は、法廷の中だけにあるのではない。企業法務、国際取引、スタートアップの支援——経済活動のすぐ隣にも、法律家を待つ現場が広がっている。優秀な若者が法曹を目指さない国で、誰が権力と闘い、誰が弱者の権利を守り、誰が世界と競う企業の傍らに立つのか。

現代への視線

制度の失敗のツケは、制度を設計した世代ではなく、その制度しか選べなかった世代が払う。谷間世代の債務、細る志望者——この負債に正面から向き合うことなしに、次の改革を語る資格はない。そして負債に向き合うとは、若い世代を「救済の対象」ではなく「次の設計の主体」として遇することである。

出典・注記

  • 発言等の引用の末尾に付した( )は出典を示す(略称p.頁)。頁は刊本の印刷頁による。
  • 百年正史=『われらの弁護士会史 創立百年正史』(第一東京弁護士会・2023)p.337-341, 404, 422-426, 433-434, 巻末資料(法科大学院の設計と数値、予備試験、給費制・谷間世代)
  • 日弁連六十年=『日弁連六十年』(日本弁護士連合会・2009)p.5-6, 30, 56, 469(給費制廃止の経緯と理由、修習期間の短縮、合格者数統計)
  • 日弁連七十年=『日弁連七十年』(日本弁護士連合会・2019)p.35-45(予備試験の合格率、撤退校数、ビギナーズ・ネット、署名数、フォーラム多数意見、修習給付金、谷間世代)
  • 理事会議事概要=日弁連理事会議事概要(速報)2010〜2013年度・2017〜2019年度(各発言。速報メモであり確定議事録ではない。発言者個人は特定していない)
  • 引用中の「……」は中略を示す。
  • 平成17年の法科大学院定員は百年正史が5,825人と記す一方、『日弁連六十年』は74校の定員を「2009年現在で5,765人」とするなど数値に幅があるため、本文では概数とした。谷間世代の人数は理事会議事概要の「約1万1千人」と『日弁連七十年』の「約1万人・全法曹の約4分の1」を併記した。